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地球は暴走温室効果の瀬戸際

地球は暴走温室効果の瀬戸際

テキスト 新文明の建設のために

このテキストは私が書籍として発行する予定で作成したものでありjますが事情により発行を断念しインターネットで公開を決断したものです。このテキストは私の1990年までの私の思想をまとめたテキストで1998年脱稿以来基本的に変更を加えておりません。 現状に合わない部分につきましては、注釈を付ける形で訂正&語句説明を加えて行きたいと考えております。

 2010年五月  著作者 大柱 小太郎 

★☆  目次  ★☆

はじめに
一章 人類の誕生進化発展とエネルギー
二章 破滅へ向かう人類とその生存システム
二章  その2
三章 パラダイムの転換
四章 意識現象と生命の誕生進化
四章 その2
五章 人類の進むべき道
その2
六章 新文明における教育論
六章 その2
七章 新文明の建設のために
七章 その2

★☆  本文  ★☆

新文明の建設のために

はじめに

一分に一種の割合で生命が絶滅している。

今この地球では昆虫や微生物まで入れると、一分に一種の割合で生命が絶滅していると言われている。これは六千五百万年前の小惑星の衝突の時におこった生命の絶滅より早い速度で絶滅しており、この地球は生命誕生以来とも言える危機に、直面していると言えるのかもしれない。現在人類が直面しつつあるこの問題は、人々が自己の存在について、あるいは都市と文明の在り方について誤った認識を持っており、それが自己中心的で幼稚な思考と行動となって表面化し、それは近い将来に人類とこの地球の生命に、最終的な破局をもたらす事になるのかも知れない

これから近い将来には人類が誕生して以来、かって経験した事のないような危機的な状況を迎える事になるでしょう。もし人類がこの地球における人類と文明の在り方について、根源的なビジョンを持ち得ないとするなら、あるいは世界の政府と指導者にそれを実行に移す勇気が無いとするなら、人類を生むに至った過去数十億年にもなる生命進化の歴史も、数千年の文明の歴史も何の意味も無い存在でしかなくなるだろう。

文明の歴史は五千年余り生命の歴史あるいは人類の歴史から見るとほんの一瞬の事でしかない。しかしこれは単なる五千年ではない。限りなく大きな意味を持つ五千年なのです。生命三十億年の歴史の上に初めて成り立つ五千年なのです。この文明がこの人類が滅んでしまったら、人類の後継となる可能性のある種を含む、数百万種類の生命を道ずれに滅び去るで有ろうから、たぶんこの地球では二度とこの規模の文明も知的生命も誕生する事はできないだろう。文明を滅ぼしてはならない。人類を滅ぼしてはならない。この地球における生命の歴史を無駄にしてはならない。

 

この地球の生命と人類を導き救う救世主は貴方、しかし人類を滅ぼすのも貴方、私達人類に最後の審判を下すのは貴方自身なのです。

私は太古の生命の誕生から人間の誕生に至る進化の過程でその主導的な役割を果たしてきたのは、様々な関係が持つ心とも言えるような現象や生命自身が持つ心そのものだったのではないかと考えている。生命の進化はそれぞれの個体を離れたところで起こるものではなく、それぞれの個体自身の心が生み出し、それが波動現象による共振作用によって増幅され飛躍し、それはやがてその種に固有な文化社会的な意識を変えそれが新しい進化につながるのではないでしょうか。

高等な動物以外の単細胞の生命や植物といえども、化学的なあるいは代謝的な様々な物質によって同種の個体同士や、あるいは敵対するものとのコミニュケーションをしており、これはもう人間のそれとは異質のものであるが文化とでも言うべきものではないでしょうか。このような文化社会的なものが発生から誕生までの課程を説明するものだし、生命の進化は、生命自身の化学的あるいは代謝的なあるいは心、そのものによって生み出される文化社会的現象そのものがその種全体を新しい進化の方向に導いているのではないか。

これは人間においてもも例外ではなく、人間の新しい進化は人間自身が作りだすべきもの、一人一人の個人が作り出すのではないか。私達一人一人の人間が意識的あるいは無意識に行なう思考や行動が、群れなどの集団あるいはその種全体となったとき、それが文化となり、個人における思考や行動とは全く別の意味を持つようになり、それが人間自身の行動様式や進むべき方向を決めてきたのだ。それが数百万年前のほとんど現在のチンパジーやゴリラなどと、ほとんど変わらない脳容積の猿人を、現在の人類へと導いて来たものの本質だと思う。それはこれまでに誕生してきた全ての生命にも、これと同質の現象が起こり、生命を進化させ多種多様な生命を誕生させて来たのではないだろうか。

私達人類は明らかにその社会制度を含めてまだ進化途上にある種であり現在も手探り状態で進化は進んでいるといえるだろう。

しかし現在の人類の社会制度もその生存システム進化の袋小路に突入しつつある。資本主義社会もそして現在の共産主義社会も、人類が進むべき最終段階の社会の姿ではない。いま現在の社会で起きている様々な問題は、人間が種として完成する前のその成長段階に起こる、歪みと言えるのものではないでしょうか。

現在の社会における様々な制度や組織、そして人間における心の在り方など、人類の社会全般に及ぶ諸制度がやその在り方が、この地球の生態系に適合しなくなって来ているのが、現在起きている問題の本質ではないでしょうか。これらの現象は、昆虫等における脱皮にも例えられる現象でしょう。その体に合わなくなった物は脱ぎ捨てなくてはならないのだが、その脱皮の段階が最も危険なのは、昆虫も人間の社会も同じと言えると思う。人間が種として完成するためには、どうしても通らなければならない道だが、一歩道を誤れば人類の絶滅という事態も十分考えられる。

人類の社会的な進化も、そして生物としての進化もその根は一つ、それは人の心の在り方から始まる。当たり前の人々が自己の真実の姿に目醒める時、人類と社会の新しい進化が始まる。人類には脳容積の増大など肉体的な進化の可能性はもうほとんど残っていないが、その精神と社会における進化はまだ終わっていない。小さな一つの種から波動現象が起こり一人一人の人間の心の在り方が変わる時、人間の新しい社会が誕生し、現在の物質文明を超える、人も他の全ての生命も一つの生命体となるような文明が誕生する時、永続的に続く新しい形の文明が誕生するだろう。

<align="center">人類の過去の文明の全てが、そして現代における物質文明も、自然を収奪し破壊し続けなければ存在し得ない極めて不自然な形の文明であり、生命の歴史そして人類史から観ると、必然的に極めて短命で終わらざるを得ない文明なのです。

これから新しく生まれる新文明においては自然そものをその内側に取り込み、その自然と共生し一つの生命体となる方向に向うだろう。この新しい文明においては、一つ一つの社会単位が、一つの生命体に限りなく近いものとなるだろう。もうそのような方向でしか人類がこの地球上でいき続けてゆく事は出来ない、人類とこの社会が進化できる可能性は無いのです。

そのような社会では資源さえ有るなら、自分自身を複製し増殖する事も可能だし、外部からの資源の供給が途絶えても、それ自身に必要な全ての資源を循環再利用しながら、数万年から数百万年に渡って、半永久的に文明を持続し続ける事も不可能ではない。しかしこの新文明を建設し維持するためには、その価値観や心の在り方そのものの転換が必要となってくる。これはもう人間の新しい形の進化と言ってもよいものだろう。この人間の新しい進化には、生命の進化と自分自身の関係についての理解、あるいは一人一人の人間が、全ての者を導く者としての理解と自覚が必要となるだろう。

また人類における新しい形の進化は今日にももう始まっているだろう。それは私達個人から離れた所から始まるのではなく、私達そのものから新しい進化は始まる。それは私達の心の在り方そのものの問題だからだ。その認識が一定の比率に達した時に波動現象による共振作用よって一気に飛躍が起こり現在の社会制度は崩壊し新しい文明それまでとちがった新しい世界が誕生する事になる。

それはまた過去の文明の誕生においても、大きな役割を果たす事になっただろうし、それを発展させ数々の発明、発見の母体となり、現在の壮大な物質文明を誕生させる事にもなったのです。何の意味もないようにも見える、私達の思いや行動の一つ一つが、人間の進化にそして文明に大きな影響を与え続けて来たし、それはまた人類の未来において大きな意味を持ち、計り知れない影響を与えるのです。一人一人の人間がこの事に気づき、その重大さを認識する事は、人間が話すあるいは読むあるいは書くといったような技能と同じか、それ以上に大事な事なのです。人が生きる事において最も重要な事柄の一つなのです。

取るに足りないようにも見える、私達の思いと行動の意味とそして私達自身の持つ重要な意味に気付き、そして私達自身が人間として出来ることをする事が、人類に開かれた新しい進化への道です

しかし現在の社会における大きな問題は、人々が生きて行くために営利会社あるいは政府職員あるいは労組あるいは政党等の、各種の団体に所属しなければ生きて行けない仕組みになっており、人間はこれらの組織のなかで、洗脳され人間として思考する事を許されず、組織の人間としての思考しか出来なくなるのです。そしてそれが真に人間のための改革であったとしても、組織に不利になる改革には人間としてではなく、組織の人間としてその改革に反対し抵抗する事になるのです。

その例は日教組の活動における反対派教師の吊し上げや、行政改革における官僚組織の抵抗に最も顕著に表れています。一人一人の個人を観ると真面目で真剣です。しかし一旦組織の一員となると人格が変わってしまうのです。

これと同じ質の問題は先進国や後進国を問わず至る所で発生しており、人口の爆発的な増加や森林の破壊や環境汚染など現在世界で起きている問題の全てはそこに源が有るのです。個人的には子供が少ない方が国にもこの地球のためにも良いという事を理解していても共同体の雰囲気がそれを許さない。木を切ってはならないと分かっていても木を切らなければ、あるいは環境を破壊し続けなければ生きて行けない、システムの中に現在に生きる全ての人間が組み込まれているのです。

それが古代から現代に至る文明の最大の欠点であり、人類を進化の袋小路に閉じ込め、この文明と人類を絶滅へと向かわせるものなのです。人間がこの巨大な意識の壁を突き破り新しい進化の扉を開くには、一人一人の人間がこれらのくびきを断ち切り、いかなる組織や立場にも影響を受けない、純粋な一人の人間として思考し行動し、人として出来る事をする以外の道は有りません。

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J.E・ラブロックはこの地球は一つの生命体と考える仮説を発表し、彼はそれにギリシャ神話の大地の女神の名を取ってGaia(ガイア)彼女と名付けたのです。母なる大地の考え方は西洋、東洋を問わす悠か昔からあった概念ですが、彼女はこの地球上に住む全ての生命を産み育ててきた母親です。全ての生命を導き進化させて来たのです。しかし彼女はとても強く、そして時には恐ろしい母親でもあるのです。その産みの子供に試練を与える事も有るのです。これまでに彼女の要求に応えられなくて、絶滅していった生物種は数えられないでしょう。

もしかしたら人間もそれらの仲間に入る種であるかも知れない。彼女の精魂を注ぎ込んで誕生させ、最愛の息子である人間に大きな試練を与えようとしているのです。それは全ての生命そして人間が大人になる過程で必ず通らねばならない試練だからです。現在の人間への彼女の要求は知能を高くするとか、頭脳を大きくするとかあるいは体を大きく強くするとか言うものでない事を知ってほしい。彼女の人間への要求は彼女自身を知る事、そして人間自身を知る事、人間がこの地球に何のために生まれたかを、知る事を要求しているのです。もし彼女の要求に応えられないとしたら、容赦なく人類を絶滅へと追い込むでしょう。

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二一世紀を目前に控え、これから先に人類は、これまでに経験した事の無い怒濤のような大混乱の世紀を迎える事になるだろう。そして今生きる私達は生き残るために、否応なく意識的な進化を求められる事になるだろう。たぶんその意識的な進化を成し遂げられない民族や国家は飢えた無数の人々を生み出し、武力を背景に民族大移動するか。力の無い民族なら侵略され絶滅するかの選択を余儀なくされるだろう。

現在の北アフリカや中東地域の、乾燥地帯のオアシスをめぐる争奪戦争は、数千年以上にわたって続いてきた歴史があり、現在のそれらの地域の住民は、それらの争奪戦争の勝者の子孫であり、その戦争の敗者は、殺戮され砂漠の中に追放され、幾多の民族が消滅していった歴史がある事を、私達先進国の市民の大部分は知らない。これと同じような事が近い将来に世界の各地で起こるかも知れない。

もし人類が二一世紀前半までに、意識的な進化を成し遂げ、新しい文明を建設する事が出来ないとしたら、人類は進化の袋小路にはまり込み、今後数世紀以内に、飢えと貧困と混乱の内に絶滅する可能性さえある。絶滅する事がなかったとしても、世界の人口は百億人を超える人口から、二0億人前後まで激減するだろう。そうなる過程では人々は混乱の極みと、地獄のような世界を体験せざるを得ないだろう。

そして世界の大多数の国の国土は、現在のギリシャや北アフリカや中東地域のような、不毛化し、砂漠化した荒野となるだろう。世界の生物層は貧困化し多様性を失い、自然は回復不可能なまでにダメージを受けるだろう。そして現在の生活水準に達する文明は二度と生まれる事もないし、人々の生活は数世紀前の生活水準に逆戻りし、宇宙へ進出する事など不可能な事となるだろう。

現在起きている問題の本質は心の内にあり人間の心の在り方そのものの問題であり、この心を造り出した生命の進化の本質にまで遡らないと、現在起きている問題は解決できないだろう。

人間における新しい意識の進化はより多くの知識を持った人間や人間の知能が高くなって起こるのではない。新しく進化した人類が誕生する事によって起こるのでは無い。超能力を持った人間が出現する事によって起こるのではない。知能の高い人や頭脳の大きい人や優れた人間をを選び抜いて、より進化した別の人種を造り出す事によって起こるのでは無い。そのような新しい人間が生まれて来たとしても、現在の人類の苦況を救うことは出来ないし何の意味もない愚かなやり方です。

意識進化と言っても難しい事ではないのです。一人一人の人間が、自分の当たり前の思いと行動が、集団となったとき民族全体となった時人類全体となったとき、どのような意味を持ち、どのような事が起こるのかを認識する事です。そのような中での自己の存在の意味を認識し、人間としての在り方を認識し実践する事です自分自身がなぜこの世に存在し、何のために生きるのかを知る事です。人間の意識の進化は自己への認識によって、人々のその心の在り方によって新しい進化の方向は決まる。

それは人類にとって最後の成就であり、人類の最後の革命と成るかも知れないし、あるいはまた絶滅への道なのかも知れない。それはどれだけの人が真実の姿を認識し、どれだけの人が人間として出来る事をするかでそれは決まるでしょう。一人一人の人間の意識の変革だけが私達に真に平和と幸福をもたらす。一人一人の間の意識の変革だけが破局と絶滅へと、向かいつつある人類とこの世界を救う事が出来るのです。

私は生命の進化において最も大きな役割を果たして来たのは、生命の持つ心そのもののだったと言う事はこの本の中でも何度も書いているが、この地球の生命に常に圧力をかけ続けている力である、適者生存と自然淘汰の法則は、その生命の持つ心に、最も強く働き掛けるものであり、その適応力の高いもの変異の幅の広いもの、すなわち思考の早いものその思考空間の広いものが、生き残ってきて、それが人類にまで進化してきたものであると思っているのです。

そしてこれらの力は現在の人類にも働いており、私達の心の在り方そのものが自然淘汰の対象になっている事に気付いてほしい。私達の心の在り方そのものがこの地球上で生きて行くのに適しているかどうかがその試練の対象となっているのだ。私達のこの心の在り方がそれにそぐわないとしたら、人類はこの地球上から、巨大な廃墟と荒野と砂漠を残して消え去るしかない。

人間における意識の進化の方向はこれに応える形でしかその道はないし、人類全体としてしかも他の生物では有り得ない程の極めて短い期間で、この変化に適応する事を要求されている。

どれだけの人々がこの事実に気が付くかで、人類の未来は決まるのは間違いない。これを言い換えるなら人類の未来は貴方自身の考え方で決まるとも言えるのではないでしょうか。人類が栄えるのも滅びるのもそれは貴方の考え方しだい、人類の運命の鍵を握るのは貴方だと言う事にどれほどの人が気付いているだろうか。

あたりまえの人間である貴方の思いと行動は、人類の大部分の人々の思いであり行動なのです。はるか昔の貴方と同じような人々の思いと行動が人類を産み進化させ人類の文化を形づくり、人類の文明を誕生させたのです。そしてその思いは現在の壮大な物質文明を産み出したのです

そして今の私達つまり当たり前の人々の思いと行動は、この地球に生きる全ての生命と人類を危機に追い込み絶滅へと駆り立てているのです。ここで当たり前の人々がこの事に気付きその思いと行動を修正する以外に、これから逃れる方法は有り得ないのです。

当たり前の人間である貴方は無力な個人ではない、何の意味もない存在ではない。貴方の思いと行動は、この地球の運命をも左右するほどの力を持っている。貴方が世紀末の現在に存在する事は、とてつもなく重要な意味を持っている事に気付いてほしい。そして貴方が人間として出来る事をする事でしか、人類とこの地球に住む全ての生命が迎えつつある危機的な事態を回避する事は出来ない

条件さえ整うなら何処ででも誕生する可能性のある生命と、そして自省的な精神を持つ生命体が作る文明がこの宇宙で我々だけのように見えるのは、過去この地球で誕生した文明のほとんどが短い期間で消滅したように、人類の現在の物質文明がたった百年にも充たない期間でその限界に突き当たりこの文明の存続と人類の生存が危ぶまれている。宇宙には多数の惑星で生命が誕生し自省的な精神を持つ生命体にまで進化し、これまで多くの文明が誕生したのかも知れない。宇宙における他の文明もこの文明段階に止まる時間が極めて短く、さらに上の段階に進化し半永久的に持続する文明は極めて希な現象だからなのではないだろうか。そのために生命が存在し文明を持つ惑星はこの地球だけのように見えるのではないだろうか。

あるいはまたこの地球で誕生した生命は起こり得ないような奇跡的な現象がこの地球で起こり生命が誕生したもので、もしかしたらこの宇宙で生命の誕生という事が起こったのはこの宇宙でこの地球だけなのかも知れない。実際に生命がこの地球上で誕生する確率は極めて低いもので、その可能性は無いと言えるほど低いものである。

そうだとするとこの地球におけるこの生命がいかに貴重なものであるかが分かるし、私達の世代で人類とこの地球の生命を絶滅させる事など絶対にさせてはならない事だ。そしてその奇跡的な出来事の上に、私や貴方という存在がどれほどの奇跡の積み重ねの上に存在しているか気付かねばなりません。

現在に生きる私達の世代より前の世代の人間なら、これまての伝統的な生き方を踏襲するだけで十分生きて行けた。しかし私達の世代になって一人の人間の存在の意味がこれまでの世代とまるで違う意味を持つに至ったのだ。私達の世代の人間には、これまでの習慣による思考と行動、そしてあらゆる利害と欲望、そして組織による束縛を乗り越えて、純粋な一人の人間として導く者としての思考と行動が求められている。

これまでの小賢しい小市民的なエゴを捨てなければならない。現在の私達の社会は小悪党のさばる社会で、悪党で金儲けの巧い強かな人間が憧憬の目で見られるような社会でもあるのです。ここに人々の持つ価値観に根本的な誤りがあり、現代社会の病巣があり過去に人間が侵してきた、過ちの源なのです。またこれまでの人間が生み出してきた社会には、人々にそのような考え方をさせるための仕組みが存在しているのです。それが自分の事だけしか考える事の出来ない人々の群れを生み出し、社会を腐敗させ混乱させているのです。これらは相互に関係を持ちどちらか一方を断ち切らないかぎり、人類の社会と文明がこの関係から抜け出る事は出来ず、この文明は衰退し、この地球に回復不可能な傷跡を残して人類は絶滅するでしょう。

私達一人一人の人間がこの世に存在できる事は極めて希な現象です。この世で最大の奇跡は私や貴方が一人の人間として存在している事なのですから。私達一人の人間が人間として存在できる確率は、人類の歴史を十万世代として十の三千京乗分の一と計算されています。この数字は私達に神秘的な啓示を与えてくれる数字です。有り得ない事が起こり、現在の私が存在し貴方が存在しているのです。人はお金儲けのために生まれているのではありません。ただ子供を産み育てるだけのためにこの世に存在しているのではありません。自分のためにしか生きる事の出来ない、人生ほど惨めでひどい人生は有りません。

人は自分自身と、それに続く人々と生きとし生きるもの全ての導き手としてこの世に存在しているのです。カオスの理論で北京で蝶が羽ばたけばニューヨークで大風が吹くたとえ話があります。この世に存在するもの全ては様々な関係によって繋がっています。無数とも言える様々な関係でつながれており、人が認識する事が出来る関係などほんの一部分でしかありません。一人一人の人間という存在は、他の人間を含む全ての生命の運命と進化にも、影響を与える存在として存在しているのです。

もし数世代前にその時の全人類のうち一人が存在しなかったとしたら、おそらく現在生きている人間はひとりも存在せず、全く別の人間が存在していると言えるのです。私達は一人の人間の存在の重さを、一人の人間の意志の重さを、改めて認識する必要があるのです。

それゆえに存在の重さを認識し、導くものとして襟を正して生きる必要があります。人間としての純粋さこそいかなるものにも勝る最高の価値を持つものだし、それ以外に人間がこの地球で永続的に生き続けて行く方法は無いのです。現在に人間として生きる全ての人々が、この世紀末に人間として存在する事の極めて重要な意味を理解し、意識的な進化を成し遂げ真の人間としての心の在り方を確立しなければならない時を迎えているのです。

しかもそのための時間はもうそれ程残っていないのです。私は日本では二千年以前に世界においても二千二0年以前にその手掛かりを掴めないとしたら、それ以後はもうどのような事をしても手遅れとなるだろう。この地球と人類が迎える破局的な事態は避ける事は出来ません。それはそれ以後になれば人々は、その日を食べる事で精一杯の状態になり先の事など考える余裕すら無くなるからです。

もしこのような事態になるとしたら、人々の現在進行中の事態に対する認識の不足から来るもので、それは為政者や官僚だけの責任ではありません。それは現在に生きる全ての人々と私達の世代の無責任と自己中心の考え方が、必然的に引き起こすものです。

それは神ではなくそれは世界に住む当たり前の人々の、意図せざる無意識の合意によって、我々自身が我々人類はこの地球に住む資格はないと、最後の審判を下す事になるのです。つまり聖書で言われている最後の審判は、神ではなく貴方が下す事になる事に気付いてほしいのです。

そして人類は遅かれ早かれ何百万種類もの生命と共に絶滅する事になるだろう。全ての生命が絶滅してしまう可能性さえある。この地球が金星みたいな惑星のようになるかも知れないからだ。またそうなる事を防ぎこの地球に住む人類と全ての生命を破滅から救う事が出来るのも、当たり前の人間である貴方だと言う事に気付いてほしい。当たり前の人間である貴方は、自ら自身と人類とこの地球に生きる全ての生命を滅ぼす事も出来る悪魔でもあり、生きとし生きる全ての者を導き救う救世主でもあるのです。

一人一人の人間がそれに気付く事が私の言う意識的な進化の意味だし、そによって人間はこの地球に生きる生命として一つの種として成熟を意味する事になるだろう。現在に生きる私達の世代はその意識の進化に参加し新文明を築き上げる人間でもあるし、その人類史上希に見る現象を途中までは立ち合う事の出来る人間でもある。ある意味では幸せな世代でもあるし、人類の運命の分岐点であるこの世紀末にこの世に存在する私達の世代は、人類誕生以来あるいはこの宇宙に生命誕生以来とも言えるほどの重い責任を負っている世代だとも言える。

ただ付け加えておかねばならない事は、私は私でもあり貴方は貴方でもある。それぞれに家族も有り、生きて行かねばならないのは当然です。ただ貴方は、もはや単なる貴方では無い。貴方は貴方であると同時に一人の救い主であり、人類に最後の審判を下す者でもある。貴方は貴方であると共に、一人の神、一人の造物主でもある。

常に肩肘張って生きる必要は無いが、現在世界の殆どの国で、全ての市民が導く者として救い主として行動する機会が与えられている。数年に一度ほんの一瞬だけ導く者として一人の救い主として、襟を正し行動するだけで、破滅への流れを確実に止める事が出来る事を知ってほしい。

その事が理解できたら、貴方には救い主の一人として、最初に、しなければならない事が有ります。それは私つまりこの本の著作者を、拒否し否定する事であります。かれは無能な、一人の中年のおちこぼれのおっさんでしかない。彼に如何なる期待も抱いてはならない。そして今度はこの本を読んでいる貴方の番です。

貴方が次に松明を掲げ導く者として一人の救い主として、一人の人間として出来る事をする時です。貴方がする事は偉大な指導者あるいは予言者あるいは救い主あるいはキリストの再来あるいは尊師と称する如何なる人間も、拒否し否定しなければなりません。貴方がどんな宗教の信者であっても、信仰を捨てる必要は無いが、その時は一人の人間として一人の導く者として一人の救い主として一人の造物主として行動しなければなりません。

如何なる信条を持ち、如何なる団体に所属する者であろうと、生きとし生きるものを思い、全人類とこの地球の命ある全ての者を全てのものを思い行動しなければなりません。しかし貴方自身も、救い主と名乗る事は出来ません。その思いは心深く止めておいて下さい。この事は普段貴方の意識の片隅に止めて置くだけで十分です。普通の人がその人として意識し、行動するのは数年に一度の事でしょう。そのとき私達は他のその人達と幾つかの点で、他の目覚めた人々と一致した行動を取る必要が有ります。その事に関しては最終章を参考にどうぞ。この章の終わりにこの本は宗教書ではなく、新文明を建設し、人類とこの地球の生命を、破滅から救う行動のための本です。



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